知られざる世界。【わが盲想】モハメド・オマル・アブディン

エッセイ
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2020年、28冊目の読書感想です。


わが盲想 [ モハメド・オマル・アブディン ]

楽天ブックスだと、現在は↑の単行本版しか在庫がないみたいですが、私は↓の文庫版を購入して読みました。

紛争が続く祖国スーダンを飛び出し、盲目の青年・アブディンがめざしたのは、未知の国ニッポン。言葉も文化もわからない、しかも見えない世界で、幾多のピンチや珍事に見舞われながらも、ユーモアいっぱいに切り抜けていく様を、音声読み上げソフトで自ら綴った異色の青春記。

内容紹介(「Book」データベースより)

これは・・・。とにかく

ウーム、スゴイ!!

と唸ってしまう1冊でした。

久々の★5つ!!

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知られざる世界、アレコレ

内容紹介にもある通り、スーダンから日本にやってきた盲目の青年による奮闘記です。

ちなみに、スーダンという国ってどこにあるかご存知ですか?え?常識?

ここです。

北東アフリカ、エジプトの真南。
日本から見ると、本当に遠い。当たり前ですが、スーダンから見た日本も果てしなく遠いでしょう。

スーダンという国のことも、盲目の人から見える(感じる?)世界も、異国の人から見える日本という国の姿も、私にとっては知られざる世界で、人によって世界はこんなに違うのか!と驚きの連続でした。

著者のアブディンさんは、1978年生まれ。スーダンの首都ハルツームの出身で、12歳のときに視力を失い、ハルツーム大学在学中の19歳のときに、鍼灸を学ぶために来日したのですが。

 ぼくの家族は、両親と、ぼくをいれた五人兄弟だ。五人のなかで男は四人、そのうち三人は目が見えない
 ぼくの父と母は、はとこだ。スーダンでは親戚同士の結婚は一般的で、そのせいかどうか、子どもが障害をもって生まれたりすることが日本に比べて多い。

という「はじめに」に書かれた文章でいきなり「ドヒャー(;’∀’)」という気分にさせられます。←語彙力

子どもが五人、うち三人は目が見えない。
ご本人の大変さももちろんですが、ご両親もめちゃくちゃ大変ですよね。まさに「知られざる世界」やここに・・・。

でも、「盲目で異国の地に単身でやってきて、何も分からない中で努力を重ねて乗り切っていく」みたいな「恐れ入ります・・・」という内容ではなく(もちろんそういう感想は抱きますけど、それを前面に押し出した内容ではないという意味です)、本書は終始明るい文章でドタバタ劇風に紡がれていて、笑いあり、ハラハラあり、ですっごく前向きな気持ちになれる1冊なのです。

そしてとにかく情景の描写が見事で、読んでいると目の見えない方が書いている文章だということを忘れてしまうんですよね。

そんな文章の中で、唐突に描かれるのがこんなシーン。

 と、そのとき歴史が動いた。
 大槻先生は突然、
「モーハメド君、靴のひもが解けてますよ」
 と声を掛けてきた。
(余計なことを言うな、おっさんのくせに)
 ぼくはそう言いたいのをぐっとこらえて、これまでいつも使ってきた技を試みた。ひもを適当にぐちゃぐちゃに絡めて丸めるのだ。が、プロの大槻先生には通用しなかった。先生は、ぼくのぐちゃぐちゃになった靴ひもを一瞬にして指で解くと、言った。
「モーハメド君、今から寮に帰りましょう。そして、靴ひもの結び方を練習しましょう」
 ぼくはそれを聞いて、うれしさのあまり、こみ上げてくるものを感じた。おそらく、大槻先生はぼくの抱える最大の苦しみをわかってくれたのだろう。
 ぼくは幼いころから、学校で靴ひもが解けると、怒鳴るような声で「おい、○○くん、これを結べ」と命令していた。呼べばだれでも、素直にそれをやってくれた。
(中略)
 ぼくはたまたま不器用だから靴ひもが結べないのであって、目が見えないからできないと思われるのがいやだった。そうやって強気に出ているうちに、いつのまにか靴ひもが結べないまま大人になってしまったのだ。

「靴ひもを結ぶ」というだけの行為が、目の見えない方にとっては難しいことなのだ。とハッとさせられます。
道を横切る、電車に乗る、文書を読む、そういった分かりやすいというか、他者からも見えやすい「困難」だけではなく、日々の営みの中に難しいことがたくさんある。よく考えると当たり前ですが、アブディンさんの「靴ひもを結ぶ」というエピソードを読むまでそこに思いが至ったことはありませんでした。

3日間かけて靴ひもを結べるようになった彼は、祖国の母に電話をかけます。

興奮冷めやらぬまま、この大事件について報告すると、そのテンションになんと母が驚いていた。どうも母は、靴ひも結びがぼくの人生最大の山場ということを知らなかったらしい。
 ひょんなことから、長年コンプレックスだった靴ひも結びに成功して、ぼくはうれしさで胸がいっぱいになった。生後十九年と九か月目のことだった。
 そのとき、ぼくはやっと足元を固めて、日本でいろいろな困難に立ち向かえる気がした。

なんだか元気が出てきませんか?

他人から見たら小さなことでも、それを乗り越えたことが大きな自信や次に挑戦する原動力になることがある。そんな小さな積み重ねで人生は作られているわけですよね。

そしてこのエピソードはこんな言葉で締めくくられます。

ふんどしではなくて、靴ひもをしめてがんばるぞ。

うーん、ウマい!!
ちょいちょい↑こんな感じでおやじギャグが挟み込まれていて、それがまた面白いのです。
日本語知識がほぼゼロで来日したアブディンさんは、おやじギャグにのめり込んだことで日本語の語彙を飛躍的に伸ばしたんだそうな。

「読める」という武器

日本人でもなく、そして盲目のアブディンさんですが、本書は誰かに代筆してもらったものではなく、音声読み上げソフトを使用して自分の力で書いたものだそうです。

でも、読んでいて、日本語の不自然さはゼロ。
翻訳ものの本とかだと、「うーん、実際はあんまりこういう言い方しないよね」という表現に引っかかってしまうことがよくありますが、そういうことも一切なく、ほんっとーに自然に文章が頭に入ってきます。

それだけの「日本語力」を身に付けたのは、(上述のおやじギャグ、プラス)点字でたくさんの日本語の本を読んできたからとのことなのですが、スーダンでは点字に触れたことがなく、意外にも19歳まで1冊の本(母国語の本ね)も自分では読んでいなかったんだそうです。

では、どうしていたか?と言うと、他の人に読み上げてもらっていたんだと。
それってどういうことかと言うと、「読んでくれる人」がいないと何も読めないということです。

読書好きな方や、知識欲のある方だと分かると思いますが、「自分の好きなときに好きなように本を読めない」ってものすごーくストレスフルですよね。
というか、それができない状況なんて想像したこともなかった。

アブディンさんはずっとそういう状況で生きてきたわけで。

スーダンでは、人に本を読んでくれと頼んでも時間が合わなかったりね。いろいろ根回ししなきゃいけないから、それだけで疲れちゃう。根気がないからね(笑)。読んでくれるところまで連れてくるだけで「あー疲れた」と思って、ダベッて終わりと言うこともあった。

それが点字をマスターすると、目の前に読めるものがある。それならば読まなきゃ!!という感覚だったんだそうです。
「点字を読む」という武器を手に入れたことで、「好きなときに本を読む」という自由を手に入れたわけですよね。

この本にまつわるエピソードは巻末の対談集で少し触れられているだけなのですが、読み終わった後に、私自身が猛烈にたくさんの本を読みたくなりました。
「趣味は読書です!」なんてお気楽に言ってしまいますが、そもそも「読める」ということが武器であり、その武器で得られるものは無限大。「読める力」を使わないなんてもったいない!!と痛烈に感じた私なのでした。

きっかけは書評

アブディンさんの悪戦苦闘ぶりや笑っちゃうほどの人間くささにクスっと笑いつつも、とにかく読むとパワーが湧いてくる1冊。
私の文章がヘタ過ぎてうまく伝えられませんが、これはめちゃくちゃおススメです。

そんな本書を手に取ったきっかけは、コチラで紹介されていたことでした。

「考える人」という雑誌(現在は休刊)の編集長であった河野通和さんが、メールマガジンで連載していた書評を1冊にまとめたものです。

とにかくどれもこれも読みたくなっちゃう!という珠玉の書評集でして、同じくこの書評がきっかけで手に取ったコチラの本も。

めちゃくちゃ良くて、★5つ評価でした。

こうも高評価が続くと、また紹介されている本を読みたくなるな~!
書評の力ってスゴイと改めて思った私であります。

以上、【わが盲想】読書感想でした!

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